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老人はずっと当事者、子育ては一時的な当事者という事実

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投票率とは違う次元で、子育て層の声は届かない

【子育て層だけは、「当事者」期間が非常に短い】

しかし、子育て層は、この側面において、決定的に弱い。

保育園に入れない!という悩みも、入れてしまったら、もう過去の話になります。

子どもが熱を出して会社に行けない、困る!という悩みも、子どもが4歳を過ぎた辺りから、徐々になくなっていきます。

学童に入れない!という悩みも、高学年になったら塾に行けるし、まあいっか、となる。

そう、当事者が当事者であり続けるということが、ないのです。

ソース: 政治が子育て層を簡単に無視できる、投票率以外の大きな理由(駒崎弘樹) – 個人 – Yahoo!ニュース

超納得。とても感慨深い話だなと感じました。私は現在子育て層であり、「老人に金回さないで、子育て世代に金回せ!」と言うスタンスなのでありますが、言われなければ自分がそう言うのは、自分が苦しんでる今だけだなと、それでは良くないと思い、したためます。

PTAの在り方で同じことを感じていました

人員は全て流動的で、自分の子供が在籍時のみ気に掛け、中学校に入れば、小学校のPTAなど知ったこっちゃない、という構図。根っこは同じ話ですねこれは。

自分の子供が乳児/幼児/児童であれば生活の中心になるし、それにまつわる出費は必然的に多くなり、政治へ望むことも子供に関することへ重きを置きます。

それが、子供が大学生になる/就職する/親元を離れる となっていけば自然と「子育てからの解放」であるとか「第2の人生」だとか、そういった考えに至るのも至極当然だと思います。と言うか、まず間違いなく自分もそうなっていたはずです。

先輩「俺らも若い時辛かったよ。お前も苦しめ。」と言っていては、足を引っ張るだけ

仕事でもそうなんですが、辛かった話をしてガス抜きしようとすると、不幸自慢大会になっていくんですよね。ただそれは比較しようのない個別の話であって、辛い経験をした人ほど偉い訳ではないのです。

また、下手に辛い経験を越えていると、初心者に「俺が耐えた苦労」は経験して当然/乗り越えられる/なんで出来ないの? なんてスタンスになりがちです。もうホントこれ嫌いなんですけども。

記事内でも、
1「当事者でなくなっても、自分の味わった痛みを感じる人のために、動く」
2「当事者じゃなくても、共感した人が動く」

と述べられています。

自分の経た辛さを、次の人がどうすれば軽く出来るか、を考えるべきだと思うのです。集団が成長するために。今は間違いなくそう思っています。ただ、将来の自分はそう思っていなさそうだったので、将来もそう思おうと誓ったのでした。

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